PEACEBERRY JAM No.21(国連・憲法問題研究会通信第19号)


「憲法調査会」−改憲論を批判する

 5月11日、「憲法調査会」−改憲論を批判するを行いました。下記に転載したレジメに基づく報告が行われ、討論が行いました。


[1]改憲論とは何か
 日本国家を「普通の国家」にするために国家再編の政治戦略の柱として出されてきたもの。主要に争点になったのは9条。
 戦後平和主義を解体して、「戦争のできる・する国家」にするのが目的
 国会に初めて憲法調査会が設置されて、世論調査では『改憲賛成が過半数』という状況

[2]改憲論の流れ
 50年代「復古型改憲論」
  改憲論が逆コースの中で出てくる
  鳩山一郎内閣(54年〜56年)
  自民党(55年結党)綱領「自主憲法制定」
   明治憲法を念頭に、《日本の伝統強調、天皇元首化、9条2項改憲=国軍創設、市民の権利を創設、最高裁国民審査の廃止、首長公選制の廃止》
  57年憲法調査会設置〜64年
  56年参院選など国政選挙で自民党が3分の2とれず、60年代になると世論調査でも改憲反対が多数に
  64年憲法調査会最終報告 両論併記
 → 明文改憲から解釈改憲路線へ
 池田路線  解釈改憲で日米安保強化を進める
  経済重視路線の下で、解釈改憲推進で明文改憲論は下火に

 70年代末〜80年代  2項改憲論
  78.11.27 日米安保ガイドライン(防衛協力指針)決定(日米共同演習を可能に)
  79年〜冷戦第二期(79年アフガニスタン侵攻)
   軍拡推進・日米軍事同盟強化 → 中曽根政権 戦後政治の総決算
  81年10月 自主憲法期成議員同盟の改憲試案
     自衛隊保持の3項新設
  82年8月 自民党憲法調査会「中間報告」
     9条改憲で防衛のための実力(武力)
   集団的自衛権を行使できるように9条にしぼった改憲論
  80年代半ば〜  明文改憲を諦め、解釈改憲の拡大と軍事大国化への「規制」の突破の既成事実作りを推進
 「私の内閣では改憲を政治日程にのせることはない」(中曽根)

 90年代  派兵改憲論 「国際貢献」改憲論
  湾岸戦争・PKO派兵を契機に、派兵禁止の「国是」を突破し自衛隊海外派兵をめざす
  読売改憲第1次試案(94年11月)、小沢調査会など
  憲法前文を恣意的に解釈変えし、西側同盟・北の大国主導の武力行使に海外派兵して参加することが憲法の「積極平和主導の理念にかなう」
  小沢一郎『日本改造計画』 9条3項に自衛隊・国連待機軍を規定

[3]改憲論の内容
  「復古的改憲論」  戦前回帰の色が濃い
  「二項改憲論」   自衛隊・安保の根拠規定にしぼったもの
  「国際貢献改憲論」 派兵拡大の根拠作り

 【現在の改憲論】  「古いから改憲すべきだ」改憲論
  一旦後退した押し付け憲法論や復古的な改憲論などが90年代半ばからの新ナショナリズムの強まりを反映して出てきている。
 政治機能としての無理やり分類すると
  ・自民党的改憲論 自民・自由・保守など国会の多数派。読売改憲試案
  9条改憲が主要な狙いである点は変わらない。押し付け憲法論を土台に今までの改憲論全体が主張されている。
   (自民党憲法調査会「基本的考え方」 (4月19日)
    ‘本の歴史と伝統⊆己責任原則=義務重視B振鵬住代の安保す餾欅楕櫚ト鷯鐶寮Υ超問題)
  ・「護憲的改憲論」  鳩山由紀夫 「軍保有」を明記 《解釈改憲に歯止めをかけるために改憲する》
  ・「市民的改憲論」 9条も新しい人権もという立場。世論調査も見るとそれなりの数。読売改憲試案などはこの部分の取り込みを狙っている。
  ・解釈改憲継続派  宮沢喜一、後藤田正晴などかつては吉田路線で自民党多数派、現在は少数派   宮沢は「集団的自衛権」と考えられてきた多国籍軍・米軍への協力も、解釈改憲で可能と主張

[4]憲法調査会とは
 改憲議連(憲法調査委員会設置推進議員連盟) 97年5月設立 当時400人前後の議員(自民・新進・民主・さきがけなど)が参加
 この改憲議連が中心になり、「憲法調査委員会」を法案提出権がない「調査会」にすることで国会で初の「憲法調査会」設置にこぎ着けた
 自自公の暴走で、周辺事態法、組対法・盗聴法、国旗国歌法、国民総背番号制法(住民基本台帳法改悪)など基本的人権を脅かす法律が大量に成立した中で7月29日国会法改悪(憲法調査会設置)が成立
 衆院50人(会長中山太郎) 参院45人(会長村上正邦)

[5]憲法調査会の内容
 1月から活動開始
  衆院9回・参院7回
  憲法制定過程の検証、各党の意見表明、学生の意見表明、元GHQ関係者の参考人招致(5月2日)

 5年をメドに報告  改憲派は2年くらいでの中間報告を要求
  「議論の質が低すぎる」(進藤栄一)
  欠席・居眠り議員が多い。
  ←「安保条約の方を破棄すべき」(長谷川正安)

[6] 読売改憲第二次試案
  90年代に入り、改憲を社論として打ち出す
 第一次試案 94.11.3発表
  国民主権・環境権・プライバシー権などを盛り込み
  湾岸戦争・カンボジアPKO派兵を背景に「国際貢献改憲論」を全面に打ち出す

 第二次試案の内容
 ・公共の福祉(国家の安全や公の秩序)重視
 ・緊急事態条項
 ・「自衛のための軍隊」明記
 ・新しい権利として「犯罪被害者の権利」
 ・行政情報の開示請求権
 ・政党条項、地方自治の基本原則、衆院の法案可決権強化

 読売改憲試案(1次+2次)の内容
 ・前文  大幅削除
   「民族の長い歴史と伝統」を強調
   ナショナリズムを露骨に打ち出している
 ・第1章 国民主権
   外国人排除の法的根拠をつくる
   「国会の代表者を通して」=直接民主主義的要素を徹底排除
   個別政策課題での国民投票禁止条項
 ・第2章(現第1章) 天皇
   天皇制を温存
   違憲の皇室外交を合法化する外交君主論規定
 ・第3章(現第2章) 安全保障
   9条「戦争の放棄・軍隊の禁止」を破棄
   1次試案「自衛のための組織」を「軍隊」に
   軍隊保有を明文で打ち出す=鳩山改憲論などで強気に
   戦争「放棄」から「認めない」に改訂  つまり、「ならずもの国家」が「紛争」を起こしたら、それを押え込む=武力行使するのが、憲法の理念という180度の転換
 ・第4章 国際協力
   PKO・国連軍・多国籍軍への自衛隊海外派兵を明記
   日米安保・新ガイドラインなど
 ・第5章(現第3章) 国民の権利と義務
   「国民の権利」 外国人を権利主体から排除したまま
   『公共の利益』(公の秩序、国家の安全)を理由にした人権制限を打ち出す
   国家が個人の人権に優先するという明治憲法の考え方に回帰。近代人権思想を否定
   国際人権規約をひいているが、人権条約には人権全体の制限条項はない。
  思想信条の自由、言論の自由などには一切の制限を認めないのが、近代人権の原理
  新しい人権(人格権・環境権・知る権利・犯罪被害者の権利)「保障」
  −「公共の利益」による制限条項があるので無意味
 ・第6章(現第4章) 国会
   衆院の優位を強化
   「政治運営の機動性を高める」
 ・第7章(現第5章) 内閣
   大統領型首相 = 首相権限を強化
   「首相に命令権集中」
   「緊急事態宣言」条項
   =現代における「宣戦布告」「戒厳令」
   (読売試案90条)『身体・通信・居住・移転の自由、財産権を制限』
   「国家の安全]のための強制疎開、通行規制、通信統制、盗聴
 ・第8章(現第6章) 司法
   最高裁裁判官国民審査廃止
   最高裁の違憲立法審査権をなくし、「憲法裁判所」設置
 ・第9章(現第7章) 財政
 ・第10章(現第8章) 地方自治
   「地方分権・地方主権」とか言う割には、国重視で、地方分権強化の改訂がない
 ・第11章(現第9章) 改正
   在籍議員の3分の2以上 出席議員の3分の2以上の賛成で改正可能に−事実上、憲法国民投票をなくす
 現第10章「最高法規」規定をなくす

[7]改憲にどう対抗するか
  憲法に書いてあるからといって、それだけで実現された権利はひとつもない。
 「新しい人権」 現憲法の運用で実現できる (参考・研究会報告19集「いま憲法と環境権を考える」参照)
 どれだけ、掘り崩しが進んだ9条をはじめ、どれだけ「まもるに値する」人権の実態をつくり出していくか。

 改憲賛成  読売調査(4月15日)   60%
       日経調査(5月3日)    60.5%
       毎日調査(4月26日)   49%
    9条を改憲すべき  22%(日経)

 今後の課題は、新しい人権を実現するための改憲という「市民的改憲論」と9条改憲との間にどうクサビを打つか。
 (文責 繁山)

 アンケートから
○来てよかったと思いました。
(男性・40代)

○読売改憲試案第2次試案の‖茖犠呂如峭颪琉汰瓦筝の秩序」「公共の利益の」の名のもと「国民」(市民と私は言いたい)の人権・権利を制限する際、国際人権規約のA規約・B規約を巧妙に利用していること。同第7章内閣の首相の緊急事態宣言時、市民の人権を制限する有事立法について、同第5章の第17条、25条、34条の「居住権・財産権」等の市民の権利・人権を制限することが見事にリンクし、実効あらしめようとしていることF12条「軍隊に参加を強制されない」とし、「ガイドライン法案9条の民間・自治体の協力」を強制する余地を残していること−の3点で、この改悪案の危険性を痛感した。   (男性・30代)

「人権」と「普遍」を考えるー映画「スペシャリスト」を手がかりに

 四月六日、神保町区民館で上記のテーマの学習会を行った。二月の樋口陽一さんの「人道的介入」を巡る講演会を踏まえて、ちょうど上映中のナチス戦犯アイヒマンの裁判についての映画「スペシャリスト」を素材に、「人権」「人道」と「普遍」をめぐる問題を深めようと企画したもの。当日はまずNHKで放映された「アイヒマン裁判と現代」の録画ビデオを上映。「スペシャリスト」中の裁判シーンを交えながら、研究会でも話を聞いた高橋哲哉さんがコメントを加え、脚本・監督のロニー・ブローマンとエイアル・シヴァンへのインタビューも入っているもの。
 報告のポイントを以下に紹介したい。

<映画の二つの源泉>

 イスラエルの哲学者であるレイボビッチは、イスラエル軍兵士の不服従運動である「ヤシ・クヴェル(”限界がある”)運動を組織した人。ハンナ・アーレントは「イェルサレムのアイヒマン」という著作で「悪の凡庸さ」を告発した。この映画はこの二人に大きく影響を受けている。
<映画「ショアー」との対比>
 日本でも上映されたランズマン監督の映画「ショアー」との違いについて。ランズマンがユダヤ人大虐殺の唯一性と「確信犯」としてのアイヒマンを強調するのに対し、シヴァンとブローマンは「悪の凡庸化」を強調している。

<制作者の二人が語るもの>
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 長く「国境なき医師団(MSF)」総裁を務めたブローマンにとっての画期は、八四年のエチオピア援助の経験だった。そこでMSFも含めたNGOは、軍事独裁政権による住民の銃剣による強制移住という人権抑圧に加担してしまった。「中立主義」と「テクノクラート的反応」により、「人類としての罪」の共犯者になった。「人道的行動の使命を持った機関・制度が時には暴力的権力となります」(ブローマン)
 彼はそうした中でアーレントの「イェルサレムのアイヒマン」と出会い、「悪の凡庸さ」と、ユダヤ評議会の加担にエチオピアでのNGOに通じるものを見いだした。
 ブローマンは、NGO、人道援助の原則について「中立性」が「公平性」を損なう危険を指摘。犠牲者の表象の政治性に注意を促す。例えば、ルワンダでは「人道支援的ネガシオニズム」により責任隠蔽の「人道」介入が行われた。「干渉の権利」を巡って、クシュネル(MSFの創設メンバー。現在コソボ暫定統治機構代表)らが言う「干渉の権利・義務」という考え方には反対しており、ルワンダについて言えば、「国際法」の枠組みの適用で十分だったと主張する。(注、これは、「軍事介入必要論」としても機能しており、フランスの他のNGOからは当時MSFへの批判がなされたという。)
 ▲轡凜.
 シヴァンは自身のイスラエル軍への徴兵拒否について、いわゆる「良心的兵役拒否」ではなく「エゴイズム」からだと語っている。彼は息苦しい「民族的民主主義国家」としてのイスラエルからの脱出としてヨーロッパに移り住んだ。レイボビッチと出会い、「合法的命令は犯罪であり得る」というヤシ・クヴェル運動に共鳴する。ちなみに、アイヒマン裁判の裁判長はイスラエルでの拷問を合法化した人物だという。
 シヴァンは「アイヒマンは普遍的価値の問題に則って裁かれるのではなく、自分の行為との関連で、法的な犯罪行為との関連で裁かれた」と語っている。

<「スペシャリスト」の問いかけの「普遍性」>
 詩人の長田弘は「この映像の物語の主人公は、このような存在であり得た(あり得る)誰かだ。」と言う(三月二日、朝日夕刊)。見る者一人一人に対して、「おまえは「アイヒマン」になってはいないか?」と問いかける「普遍性」をこの映画は持っている。人間の「歯車化」(高橋哲哉)による抑圧への加担のワナはいたるところに張りめぐらされている。もちろん、新ガイドライン・周辺事態法や日の丸・君が代の強制、過労死にまで追い込む企業社会など露骨なケースも増大しており、「不服従」の真価・深化が試される時にきているのではないか。
<補足、「ユーゴ空爆」を巡って>
 ビデオの最後に高橋さんがユーゴ空爆についての見解を尋ねていた。シヴァンは、空爆自体には賛成だが、「人道に対する罪」を持ち出すことには反対、としていた。概念の政治利用においてアイヒマン裁判に通じるからだと言う。「空爆はいくら正当化されてもしょせん戦争であり、司法や歴史がなすべき役割を担うことはできない。」と語る。
 ブローマンはミロシェビッチへの強い対応は必要、としつつも空爆には反対する。政治的動機に基づく戦争であり、「人権」「人道」というレトリックでおおい隠すのはおかしい、と言う。チェチェンのグロズヌイでは百倍も規模の大きい罪が行われているのに、誰もロシアを攻撃しない。状況により対応を変えることは、人権・人道援助の世界であってはならぬことであり、人権・人道の原則の蹂躙だと批判していた。

 ディスカッションでは、まず北朝鮮への人道援助をどうとらえるべきかについて議論が交わされた。結果的に独裁政権に奉仕するものという声と部分的であれきちんと人々に届いているケースがあり必要という意見であった。また、国際人道法の両義性についても触れられた。いい法的担保を作ることに意味はあるが、その限界をも見るべきという議論だった。
 さらに、欧米で良心的兵役拒否が確立し、NPOが活発なのに対する日本の精神的土壌の貧困さの指摘もあった。天皇制や「お上」意識などの問題である。あるいは、実際の官僚やサラリーマンが映画を見てどう感じるだろうか、という声や不服従の方法の具体的提案が必要だという意見も出された。子どもを暴力から守るプログラムの実践に携わっている参加者から、具体的スキル(技術)の提示という活動の紹介もあった。また、一人一人の孤立した抵抗ではなく、横のつながりを強めて闘うべきだという意見も出された。参加者が日常抱えている困難さと切実さが率直に出されていたのが印象的だった。

*資料 「悪の凡庸さ」と「記憶の道具化」の罠(「世界」四月号所収)
人権は「普遍」なのか(樋口陽一他編・岩波ブックレット)
人道援助と「悪の凡庸さ」、イスラエルにおける市民的不服従
(「現代思想」・青土社刊所収)
(報告 杉原)

 4月6日
 アンケートから

○ビデオを見逃していたので、その解説とともに刺激的であった。
 論点の提起が多すぎたのではないかと思う。
 多様な意見をざっくばらんに出し合うスタイルはよいですが、最初にビデオの感想を出し合うなどからスタートしたら、何が論じられるべきか見えてきたのではないか。       (男性・40代)

○テーマに関係ない方にどんどん議論を拡散させ、感情的にものを言う参加者がいたのは残念。       (男性・50代)

○テーマが大きいと自分は参加できないと思いがちで、でももっと知りたい気持ちが勝ったおかげでよい時間が持てた。
 感情的にならずにといってましたが私からしたらまだまだって感じでした。もっとたくさんの人が話せる時間があれば良かったです。ビデオ上映も良かったです。
(女性・20代)

7月20日嘉手納基地包囲行動に参加して=基地固定化、グローバル化推進のサミットにノー

 7月20日嘉手納基地包囲人間の鎖行動と7月21〜23日の金持ち国家・軍事大国=G8が世界のことを勝手に決める「首脳会議」=沖縄サミットに抗議する行動に参加するため沖縄へ行ってきました。紙面の都合で詳しく書けませんが、報告します(様々な対抗サミットの行事がありましたが、日程の関係で参加できませんでした)。

 新しい反安保実行委「カデナツアー」に参加、7月18日夜、羽田から那覇へ出発。羽田空港で「お見送り」(搭乗口で数人の私服警官が乗客をチェック)、那覇空港で「お出迎え」(到着ロビーに30人の私服警官がたむろ)を受ける。

 ホテルは普段の貧乏旅行では泊まれないような所で、普段泊まるようなホテルに空きがなかったため。そこの2人部屋に3人で宿泊。滞在中に目だったのはともかく警官。那覇も多かったが、名護へ行くともっと多く、それも「広島」「名古屋」「足立」「なにわ」…と他県ナンバーばかり。あらゆる場所にかかった9本の「国旗」、「サミット歓迎」の看板。

 一方、『嘉手納包囲行動へ参加しよう』と呼びかける「人間の鎖県民大行動実行委員会」ポスターが街中にある。また、地元紙の沖縄タイムス・琉球新報は人間の鎖への参加を呼びかけ、1面社説で名護ヘリ基地計画・海兵隊沖縄駐留の見直しを主張。

 19日昼、南部戦跡へ。ガマ、4月オープンの新・県平和資料祈念館、21日クリントンが基地の重要性を強調する演説をした「平和の礎(いしじ)」、ひめゆり資料館などを見てまわりました。昨年展示改竄が大問題になった平和資料館について、米軍加害など説明文の英文表示が一部削られていた箇所が、指摘にも関わらず、未だに修正されていないと沖縄タイムスが報道。案内してくれたバスガイドさんは、新資料館は、〈旧資料館の奥行きがなくなって、ただこわいだけになった〉と評していた。バスガイドさんは「明日は私も人間の鎖に参加します」と言っていた。

 19日夜は那覇の教育福祉会館での平和交流集会(平和市民連絡会主催)に参加。

 20日午前10時半嘉手納へ出発。基地の北側の方が市民運動の区間。ヤマトの市民運動の隣が名護ヘリ基地反対協。「防音壁」で基地の中は全く見えない。

 目標を2千人上回る27100人が参加。午後2時、2時半、3時と手をつなぎ、嘉手納基地を完全に包囲。子どもを連れた家族の参加が多いのが印象的。

 包囲行動後、かでな文化センター・ホールで千人が参加し平和交流集会(平和市民連絡会主催)。新崎盛暉さんは「今日から反転攻勢へ」と強調。アトラクションの後、プエルトリコ・韓国など反基地運動の報告。射爆場内にキャンプを張って650人以上も逮捕されているプエルトリコ・ビエケス島の報告が感銘を与えていた。

 21〜23日は一坪地主会北部ブロックが連絡先になっているサミット反対実行委員会による名護市内での毎日抗議集会・デモに参加(22日夜は那覇市内でもデモ)。

 21日は検問・交通規制が予想されるので予定より三十分繰り上げて出発。検問にあわず予定より早く会場到着。もっとも交通規制は、規制区間だけが発表され、時間帯が事前に発表されないため、やむをえず外出を「自粛」した人が多かったのだと思う。

 会場の名護市さくら公園につくと、テントを張っていたサミット推進県民会議と公園と折半。名護市内を歩いて驚いたのは全ての交差点に「サミット推進県民会議ボランティア」という黄色ジャンパーを着た人々(大部分が中高年)がいること。一体あそこまで何をさせられているのだろうか?

 炎天下、那覇以上に多い「国旗」が飾られている名護市内をデモ。解散地点「世富慶」(「よふけ」と読む)では、対岸にある万国津梁館(肉眼ではもちろん見えない)へ向けて抗議の声。

 集会の発言で報告されていたが、サミットによる農漁業・観光業の被害はかなりものだった。もうかったのは土建業、警察需要で潤ったコンビニ・弁当屋・ガソリンスタンドくらい。途中のインターチェンジ・サービスエリアには何台の警察車両。炎天下のサービスエリアで立ち番をしていた、宮崎の警官は「もう一カ月も家族に会っていない」とぼやいていた。

 800億円という昨年までのサミットの数十倍の経費に英国紙が「沖縄サミットは宴会旅行」と批判。NGOの人に聞いたら、報道陣に配られたお土産がすごかったらしい。

 日程の都合で22日で帰京。帰りに空港ビルに入ろうとしたら、警官に所持品検査を求められた(到着時はなかったのに)。法的根拠がないことに「協力」する筋合いはないのでもちろん拒否。というか、搭乗時の空港側のX線検査が当然あったので、警察のやっていたのは仕事を作るためのムダ。その後、最終便に近い時間に東京着。(意義・発言など詳しい報告は別のところに書きますのでそちらをお読み下さい。また、事務局で報告会を行います。)                  (た)

2000年4月〜7月
研究会のこの間の活動

4月19日 研究会事務局
5月3日 憲法施行53年 憲法集会
5月11日 研究会学習会 「憲法調査会」−改憲論を批判する 神保町区民館
5月15日 沖縄一坪反戦地主会関東ブロック集会
5月17日 研究会5月例会 発送作業
5月30日 研究会事務局
6月2日 研究会講演会 「憲法調査会」を問う 古関彰一 文京区民センター
6月8日 研究会6月例会
6月9日 石原やめろパラソルデモ
6月18日 民衆の安全保障シンポジウム 文京区民センター
6月21日 研究会事務局 発送作業
7月6日 研究会7月例会
7月8日 9・3防衛軍事演習反対集会 中野
7月12日 研究会講演会 グローバリゼーションと東京サミット
    佐久間智子 文京区民センター
7月14日 石原NO!多民族多文化YES!集会 中野ゼロ
7月20日 嘉手納基地包囲人間の鎖行動
7月20日 海の日・サミット・大喪反対集会 文京区民センター
7月26日 研究会事務局
8月3日 研究会8月例会 7月沖縄行動報告会
8月9日 「日の丸・君が代」反対国立集会
8月26日〜27日 研究会夏季合宿(予定)
9月1日 研究会講演会 災害(カタストロフ)と自衛隊 9・3石原都知事の「防災」軍事演習を批判する  水島朝穂 文京区民センター