【私たちは何をしてきたのか】


60年代――前史

 1960年代後半、いわゆる先進国では、それまでの「前衛党」による労働者中心の政治的な革命運動だけでなく、学生や女性、「障害」者などによるさまざまな社会的・文化的な闘争(生活を変革する運動)が数多く生み出され、世界的な大衆叛乱が巻き起こりました。第三世界ではベトナム革命をはじめ、被植民地の民衆による独立・解放闘争の時代でもありました。この広範な大衆による抵抗・異議申し立てにインパクトを受け、69年、構造改革派(※)潮流より「一国社会主義革命」の立場に対し「世界革命の復権」を目指す立場から、全国組織として「プロレタリア学生同盟」が結成されました。「前衛党」から自律して闘うノンセクト・ラディカルが登場した全共闘運動やベトナム反戦運動の盛り上がりを背景に街頭や学園、職場での反乱を作り出すべく、70年安保闘争を闘いました。この頃より国家権力による暴力に対する「革命的暴力」「武装闘争」が肯定的に語られる一方で、革命党派間・内部での「内ゲバ」やリンチ、都市テロリズムなど大きな問題が残り続けることになりました。

 ※構造改革派
 共産主義者同盟や革命的共産主義者同盟などの新左翼党派がレーニン・トロツキー理論への原点回帰を特徴としていたのに対して、この潮流は、むしろグラムシの理論の影響のもとにマルクス主義を現代的に創造していくことをモチーフにしていました。1961年の日本共産党第8回党大会以降、日本共産党と決別。しかし、当時のソ連のフルシチョフらの「米ソ平和共存下での一国による平和革命」の路線を受け入れた「先進国革命」主義(社会主義革命はまず生産力の発達した先進国で議会の多数を占めることにより起きる)などを色濃く持っていました。

70年代――三里塚闘争

 強制収用で暴力的に土地を取り上げる成田空港建設に反対する農民の闘いである三里塚闘争に参加、71年9・16東峰十字路戦闘などを闘いました。72年沖縄闘争の総括を巡ってプロ学同が分裂。73年「プロレタリア青年同盟」結成。75年フォード来日阻止闘争や日韓連帯運動、狭山差別裁判糾弾闘争などに取り組みました。また、「三里塚を闘う青年先鋒隊」を結成し、三里塚開港阻止−空港廃港を目指して全力をあげました(78年3・26空港突入・管制塔占拠闘争など)。その後も近代批判とエコロジーの思想を農民から学び、日本国家の強権的開発・暴力的抑圧と対決し、日本の経済大国化を撃つものとして粘り強く支え続けました。

80年代――中曽根政権との対決

 「反安保・中曽根倒せ! 青年行動委員会」を結成し中曽根政権の「戦後政治の総決算」路線との政治決戦に挑戦しました。中曽根政権は、英国首相のサッチャーや中南米で干渉戦争を行った合州国大統領レーガンらと並び、対ソ大軍拡と福祉の大幅削減、大企業・富裕層への優遇措置などの「新自由主義政策」を強行しました。この攻撃は、トマホークミサイルの配備など日米軍事同盟の強化に止まらず、天皇・皇族の外交や国家儀礼、マスメディアなどへの露出といった象徴天皇制の強化、「日の丸」「君が代」の強制など教育の国家主義的再編、国労を潰すための国鉄分割民営化など、あらゆる領域にわたっていました。反トマホーク全国キャラバンやレーガン来日阻止闘争、全斗煥来日阻止闘争、東京サミット粉砕闘争などを取り組み、その後も「反安保・国際連帯行動」としてさまざまな取り組みを行いました。また、反原発の取り組みや熱帯林伐採、ナルマダ・キャンペーンやODA批判などの環境問題などエコロジカルで自治的な社会を目指す取り組みに積極的に参加しました。東アジアでいち早く「赤と緑の政治連合」(※)を唱え、89年の参院選では「原発いらない人々」を支え、新しい市民的政治勢力の必要性を全国に訴えました。

 ※赤と緑の政治連合
 環境破壊のグローバルな深まり、人間も含むエコロジーの破局に直面して、欧米の新左翼運動やカウンター・カルチャーの運動から様々なエコロジー運動、対抗社会運動が登場しました。原発や空港などの巨大開発や生産力主義への批判、職場、工場、大学、病院などでの自主管理・開放の運動、フェミニズムなど近代主義に対する批判と自治・連帯の志向性は、新左翼運動の権力奪取型の政治革命では捉えきれないものです。これら社会的・文化的領域と政治領域との結合である「赤と緑の政治連合」の典型例として旧西ドイツにおける「緑の党」の成立が挙げられます。

90年代――新安保・ナショナリズムとの対決

 ヒロヒトXデーと代替わり儀式をテコとした象徴天皇制強化のイデオロギー攻撃・戦争責任の隠蔽と対決する取り組みを全国各地で行いました。歴史修正主義を批判し、「従軍慰安婦」制度など被害者への戦後補償要求などの取り組みに参加しています。湾岸戦争に反対し、アメリカ合州国の侵略と日本の戦争協力=参戦国化に抗議。カンボジアPKO派兵に反対し大久保駐屯地包囲行動や反PKOを掲げた内田雅敏さんの参議院選挙などの取り組みに参加しました。非民主的な小選挙区制導入に反対する取り組みも行いました。フランス・中国の核実験に抗議するさまざまな非暴力直接行動に参加しました。また、新宿西口ダンボールハウス撤去阻止闘争をはじめ山谷、釜ヶ崎など「寄せ場」の闘いや野宿者排除に抗する運動に参加しました。また、99年には統一地方選での市民派議員の創出に各地で挑戦し20代議員の実現を果たしました。阪神・淡路大震災の被災者を中心に取り組まれた公的援助を求める市民=議員立法の運動に参加し、被災者生活再建支援法の実現を果たしました。

現在――

 01年の9・11同時多発「テロ」に端を発したアメリカ・ブッシュ政権によるアフガニスタン戦争とイラク戦争という対「テロ」戦争の拡大と自衛隊のイラクやインド洋などへの派兵に反対する運動に力を入れています。沖縄・辺野古への米軍基地建設に反対する運動や、ミサイル防衛(MD)、武器輸出解禁に反対する運動、また、三里塚空港の「暫定滑走路」反対運動や、教育基本法改悪反対運動にも取り組んでいます。自治体議員のネットワークである「虹と緑の500人リスト」の取り組みにも積極的に参加し、参議院選挙では「みどりの会議」を応援しました。戦争への動員法である有事法制や、住基ネット、監視カメラ、「生活安全条例」など監視管理社会強化に反対する取り組みにも参加しています。